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| ★2002.7.28 |
・・・・・ 盆地の気象・2 ・・・・・ |
少し遅くなってしまいましたが・・・・・
暑中 お見舞い申し上げます
あいかわらず暑い日が続いています
前回は、暑い夏の記録でしたので、本日は寒い記録を見てみることにします。甲府盆地の冬の寒さを見てみると、次のようになります
○12月の最低気温 ー11.7度
○1月の最低気温 ー19.5度
○2月の最低気温 ー17.2度
○3月の最低気温 ー11.4度 といった具合です
冬もいかに寒いのかが、この数字からも想像できることでしょう。とは言っても、毎年この数値に近いくらい寒いのかと言うと、そうでもなく、この数値はいわゆる「極値」と呼ばれているもので、あくまでも今までの最低気温ということですので、この記録はだいぶ前のものになります
「地球温暖化現象」のせいなのかもしれませんが、前回あげた夏の極値は、近年の記録が多く、それに対して、近年は暖冬傾向なので、最低気温の極値は古い記録となっています。それにしても、冬は寒く、夏は暑いという寒暖の差があるという盆地気象の典型的なところが、甲府盆地であるといえることでしょう
また、盆地気象の特徴を数値的に顕著に現わしているのが、次の数字になります。記録は1970〜2000年までの30年間の平均です
○夏の最高気温の平均値 32.0度 (8月)
○冬の最低気温の平均値 ー2.7度 (1月)
たいしたことはないと思われるかもしれませんが、最高気温の平均値と最低気温の平均値の差が34.7度あることがわかるのですが、この平均値の差があればあるほど、寒暖の差があることになり、もちろんこの差が34.7度もあるのは、甲府盆地(甲府地方気象台)だけなのです
ちなみに夏の相対湿度は、75%です
よくよく考えてみると、夏は暑く、冬は寒いなんてところは、日本で一番住みにくい所なのかもしれません。特に夏の暑さはひどいですからね。盆地のど真ん中に住んでいてこんなことをいうのもなんなのですが、夏は人間の住むところではないような気がします
冬になると、ー5度と−10度の5度の温度差なんて、さほど感じないのですが、夏の30度と35度は、もの凄く違うと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか?
本日の写真は、富士五湖の一つ河口湖で釣りをする人々の写真なのですが、こんなにたくさんの人が同じところで釣りをしているのを見ると、いくら魚影が濃いとはいえ、ちょっと信じられない光景です。一番手前のオジサンだけは餌釣りでニジマスを釣っていましたが、他の人達は、ルアーかフライによる釣りで、中には女性アングラーも5人ほどいました(彼氏と一緒に来ただけかもしれませんが・・・・・)
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| ★2002.7.24 |
・・・・・ 盆地の気象・1 ・・・・・ |
夏休みの思いでは、他にもたくさんあるのですが、またの機会に・・・・・
梅雨も明け、本格的な夏が到来し、暑さもますます厳しさを増していますので、今日は、甲府盆地の暑さを少々紹介します
盆地は夏暑く冬寒いと言われていて、その暑さは有名なのですが、それがどの程度なのかということを、本日は紹介します。今は夏ですので、甲府盆地の夏の暑さを見てみると、次のようになります
○6月の最高気温 36.5度
○7月の最高気温 39.7度
○8月の最高気温 39.8度
○9月の最高気温 38.0度
○10月の最高気温 33.8度 といった具合です
いかに暑いかが、これからも想像できるでしょう。ここで注目しなければならないのは、この高温の原因なのです。日本の最高気温で知られているのは、山形県山形市の40.8度ですが、これは、日本海側にたまにおきるフェーン現象による高温です。酒田市でも同じくフェーン現象により40度を超したこともあります
最近では、いわゆるヒートアイランド現象により異常高温になる場合もあるのですが、甲府盆地の場合は、このどちらでもなく、『普通に気温が上がり』このような高温になってしまうのです。まさに恐るべき事です
現在、日本の最高気温のベスト10の中には、甲府の記録は1つしかありませんが、最近のヒートアイランド現象が観測されるまでは、ベスト10のうち6〜7が甲府の気温でした。普通の気温上昇により高温になるのは、まさに盆地気象の特性で、甲府盆地は、まさしく『日本一暑い都市』で、『日本のトルファン』と言えるのではないでしょうか
沖縄・名古屋・静岡・京都など、暑いと言われている都市はいくつかありますが、恐らく甲府が一番暑いのではないでしょうか。自分で住んでいながら、こんな事を言うのは何ですが、「甲府盆地に住む人は、かなり我慢強い人」ではないのでしょうか。これからも、さらなる気温上昇や夏の異常高温は増えることが予想されます。そのうちに人間が住めなくなってしまうのではないかと思えるくらいです
暑い話ばかりを書いていたら、本当に暑苦しくなってきましたので、本日は、「滝」とか「せせらぎ」少し涼しげな写真をと思っていたのですが、残念ながらありませんので、残雪の写真を・・・・・・
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| ★2002.7.22 |
・・・・・ 夏休み・2 ・・・・・ |
昨日は虫取りのことでしたが、今日は川遊びのことを少々・・・・・
川遊びと一口に言っても、やっぱりメインは魚を獲ることなのです。川で泳ぐのなんて二の次で、とにかく川にいる魚を『獲り尽くすぞ!』というくらいの気持ちで、魚採りに没頭していました
釣り・さげ針・瓶伏せ・投網(通称:ぶち網)・三ツ手網(通称:ブッテ)・銛(モリ)での突き・手づかみ・ガンガン(石を叩いて獲る漁法)・マイト(発破)・電気・瀬乾しなどなど、ありとあらゆる漁法を駆使して、ありとあらゆる魚を獲りました
この中でも、夏の風物詩といえば、さげ針・投網・銛での突き・電気・瀬干しといったところでしょうか。さげ針は、もちろんウナギを釣るための漁法ですです。夕方にウナギのいそうな瀬や淵に、凧糸や水糸にウナギ針を付け、餌にはドジョウ・オイカワ・ドバミミズなどを付け、糸の端は近くの石や木にくくりつけておき、翌朝回収するという単純な漁法で、30〜50本くらいを仕掛けておくと、調子の良いときなどは、一日に7〜8本のウナギが捕れました
投網は、普通の投網なのですが、山梨では投網は禁止をされているため、夜になると、カンテラを提げながら川に向かい、夜、アユとカジカを捕るのが目的でした。当時(30年ほど前)は、僕が遊びに行っていた川の近くでは、その当時流行していたアンデスメロンやスイカなどが栽培されていたので、ついでにそれらも頂いてしまったことは、言うまでもありません(これも、遊びの一つだったかな・・・・・)
銛での突きは、単純に川に潜って、ヤマメやウグイを銛で突くものなのです。この漁法ももちろん禁止でした。水中メガネをして川に潜り、川底や石の下に潜むヤマメやウグイを銛で突くのですが、銛突きをしたことのない人にはわからないのですが、普通売っている銛では魚は捕れないのです。まず、川に潜ったままの人間の力で魚を突くのには、圧倒的にそのスピードが足りないのです。絶対に魚は突けないのです。そこで、僕が開発したのは、一本銛なのです。どのようなものかというと、普通の銛は、魚を突くところが3〜7本に先が分かれているのですが、これでは川の魚は突けなく、銛の先の刃を真ん中の一本だけ残し、両側にある刃をすべて削ってしまうのです。それゆえ「一本銛」と称してました。最後の頃は、銛の刃を削ってしまうのではなく、ちょっと太めのピアノ線を使って銛を自作していました。そして、使い方もさまざまな工夫をして、最後にたどり着いたのが、テレビのアンテナを利用するものでした。テレビのアンテナは中が中空のアルミ(もしかしてアルマイトかな)で作られていたので、その中空のチューブ状の片側に強力なゴムを付け、中に先を尖らしたピアノ線を仕込み、水中銃よろしく魚めがけて撃つのです。これで、ほぼ百発百中の銛(水中銃かな)ができるのです。魚を突いたあとは、かえし(アゴ)が付いていないので、そのままピアノ線を引っ張ると魚に逃げられてしまいます。そこで、浅いところ(水深1m以内)でしたら、一息で右手にピアノ線を持ち、左手で魚をつかみ川から揚がります。深いところ(水深2m以上)のところでは、1度目の潜りで魚を突き、2度目の潜りで魚を川底から揚げるというように、2度に分けて魚を川から揚げていました
次に電気による漁法ですが、これも違法の最たるものでしたね。一般的に行われているのは、車のバッテリーなどを利用して魚を失神させるものですが、僕らの場合は、ウナギを捕るためでしたから、12Vあたりの電圧では、ウナギはへっちゃらなのです。そこで、家庭用の電源を川まで引っ張ってきて、ウナギを捕ったのです。しかも、200Vなのです。昔は、集落毎に電気は200Vで運ばれていて、集落に変電板(だと思うのですが・・・・)が設置してあり、そこから各家庭に100Vに降電されて分配されていました。そこで、電柱から分電盤に来る前の段階で電線をカットし、そこから猟に必要な電気を取っていました。電線を切った瞬間には、そこの集落はすべて停電しますので、作業は忙しく行われたことは言うまでもありません。電気が通電された電気コードをそこから延々と川まで引っ張っていき、そのコードの両端を川に入れると、もの凄く電気に強いウナギまで浮いてきてしまい、簡単に獲れるのです。当然、危険が伴いますので、僕らも用心をしています。両手にはゴム手袋と、足にはゴム長です。それでないと僕らが感電してしまいますからね。そうして、ウナギを一晩に30〜40本くらいは獲ったものです
最後に、瀬干しですが、これは人為的に川の流れを変えてしまい、今まで魚が住んでいた瀬を変えてしまい、そこにいる魚を根こそぎ捕まえてしまうという、これもかなり荒っぽい猟です。当然のことですが、小さな川では、瀬を変えるということも簡単にはできません。また、大きな川で瀬を変えることも難しいので、中位の川で行いました。もちろん人力で瀬を変えるなんて事はできませんから、機械を使ってということになります。ここは魚が付いていそうな瀬を見つけると、事前に、そこを回避するように人口の掘り割りを付けてから、瀬の流れを変えるのです。そうすると、残された水溜まりには狙いのアユ・大アマゴ・カジカなどが居残りそれを網ですくうといういとも簡単な猟でした。ただし、この猟は当時でもおおっぴらにできる猟ではなく、河川改修などの仕事をやっているときにだけ行われた猟です
さて、ここまでいろいろな魚採りの漁法を書いたのですが、はっきり言って、すべて違法な猟でした。いわゆる密漁です。もう30年ほども前のことですから、時効と言うことで書かせてもらいました
当時の僕は、小学生高学年から中学生にかけての時期です。一番危険だったのは、もちろん電気の猟です。僕たちのグループは、もちろん大人だけでしたが、僕だけが子供なのに仲間に入れてもらっていました。警察や電力関係者からもマークされていたみたいで、僕の参加していないときに、警察に見つかりその時に参加していた人達は全員逮捕されてしまったという事もあり(一晩で帰されましたが・・・・)、僕も10回くらいしか、電気猟には参加できませんでしたけど、良い思い出として僕の心の中に残っています。面白いことに警察に捕まる2〜3週間ほど前には、河原に手首を切って自殺をしようとした女性を見つけ、すぐに消防に通報をして、人命救助で表彰を受けたばかりだというのに、警察に捕まってしまったと言っては、今でも笑いぐさとなっています。 僕は、『魚籠持ち』と『ポイント探し』の腕を買われ、その仲間に入れてもらっていました
瀬干しをするときもそうです。『ポイント探し』と『バックホー運転技術』を買われて、仲間に入れてもらっていたのです。それにしても、小学生なのに、いろいろなことをしていたなと、久しぶりに思い出す夏となりました
本日の写真は、河原でバーベキューなどをして楽しむ最近のファミリーです。隔世の感とまではいきませんが、僕の夏の川遊びとは、だいぶ違う内容であることは、間違いありませんね
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| ★2002.7.21 |
・・・・・ 夏休み・1 ・・・・・ |
いよいよ、子供達は待ちに待った夏休みに突入です(とは言っても、子供達がですが・・・・・)
夏といって、とにかく思い出すのは、『暑さ』ですね。なにしろ盆地の暑さといったら、他に比べるものもないくらい暑いのです。こればかりは、盆地に住んでいる人でなければわからないでしょう。朝起きれば、汗がダラダラなんてしょっちゅうなのですから・・・・・・
そういえば、僕が小さい頃の夏休みも、確かに暑かったのですが、今のようにクーラーも無いのに、よく過ごせたものだと思います。夏休みにしたことといえば、やはり『虫取り』と『川遊び』でしょうか。虫取りは、もちろんカブト虫やクワガタ虫です。昔のことですから、虫かごなど無く、バケツを片手に捕りに行き、その気になれば、バケツ半分くらいはカブト虫やクワガタ虫が捕れたものです。その中でも、一番思い出にあるのは、アカアシクワガタとヒメオオクワガタを捕った事でした。普通ならオオクワガタということになるのでしょうが、オオクワガタはたくさん採れたのですが、なんといってもアカアシクワガタやヒメオオクワガタは採れませんでした。今考えると、その2種は、高山性のクワガタなので、僕のクワガタ採りのフィールドにはいなかった2種なのです
たまたま、夏休みに家族で早川町の西山温泉に行ったときに、近くの林で採れたのがアカアシクワガタでした。ヒメオオクワガタは、増富町の黒森というところに行ったときに捕ることができて、今でも、捕った木を鮮明に覚えているくらいの思い出でした
他には、海水浴は主に伊豆へ連れていってもらったのですが、伊豆の山には圧倒的にヒラタクワガタが多かったというのも思いでの一つです。山梨でヒラタクワガタを採ろうと思うと、河原のヤナギの木を探すというのが鉄則でしたが、伊豆では、普通のクヌギの木の樹液を吸っていたのにも驚きました。山梨とは少ししか離れていないのに、こんなにも生態が違うのかと・・・・・
後年、静岡の知り合いに聞いたところ、その人は、クヌギの木を懐中電灯で照らしているとヒラタクワガタが飛んで来て、それを採ると言っていたのですが、はたしてそんなことで採れるのだろうかと今でも不思議に思っていて、いつかは試してみたいと思っているのですが、なかなか機会に恵まれません
昔(今から30年ほど前)は、確かに今よりもこれらの昆虫の個体数ははるかに多く、感覚的には今の10倍以上は、カブト虫やクワガタ虫がいました。なぜ今はこんなに個体数が減ってしまったのでしょうか?
確かに、開発行為の波にさらされ、山野があらゆる開発を受けたことは確かです。ただ、カブト虫とクワガタ虫の減少については、『開発行為』による山野の開発が、一番の原因ではないと思っています
では、何が原因なのかと言うと、それは、彼らの生態を考えてみると、すぐに明らかになります
クワガタ虫の幼虫は、広葉樹の腐朽菌に侵されている部分の腐朽菌を食べていますので、山野の中に腐朽菌に侵された広葉樹があれば、クワガタ虫は生息できるのです。当時(昭和30〜40年代)は、林業が一番盛んな頃なので、あちこちの雑木林が伐採をされ、必要な幹の部分だけが搬出をされ、不必要な枝部分や根の部分は、そのまま山野に放置をされていました。この不必要な部分が腐朽菌の繁殖の場を作り、ひいてはクワガタ虫の幼虫の生息場所を作っていたのです。ですから、個体数も驚くほどいたような気がします
今では、ほとんど伐採も行わないし、山野における腐朽菌の生息場所自体が、自然枯死木や台風や大雪による風倒木しかないのですから、現在の方が、腐朽菌の生息場所が少ないことは、明らかだろうと思うのですが、いかがなものでしょうか。近年行われているようなの開発行為が、クワガタ虫の個体数を減らしたわけではなく、その大きな原因は、木を切らない(利用しない)ことにあると考えています
次に、カブト虫ですが、ご存じの通り、幼虫は腐葉土みたいなものを食べています。この腐葉土が、どのような過程でできるのかを考えれば、すぐにわかることなのです。すなわち、カブト虫の幼虫の主要な餌は、@『クワガタ虫の幼虫が食べた残りの部分(腐朽が進んだ部分)』、A『製材所のおが屑カス』、B『シイタケ栽培の終わった原木』、C『肉用牛などの堆肥』、D『落ち葉などの腐葉土』などが、主要な餌なのです。@については、上記の通りです。Aについては、林業不振(材木需要の低下及び安価)による製材所の減少。Bについては、シイタケ栽培の菌床化や、中国産シイタケ増加による栽培農家の減少。Cについては、言うまでもなく肉用牛飼育農家や飼育頭数の減少。Dについては、森林伐採面積の減少と針葉樹化・・・・・・・というように、開発行為よりも、人間の生産行為による影響が大きいことがわかります。恐らく、燃料革命以前の、明治・大正・昭和初期などよりも、昭和20〜40年代が、カブト虫やクワガタ虫が一番多い年代ではなかったのでしょうか。燃料革命が始まる前などは、今の『里山』と呼ばれているところなどは、人間の煮炊きや風呂焚き、あるいは炭作りなどに、ほとんどの樹木や落ち葉さえ使われていたのですから・・・・・
この人間の歴史を知るという事は、非常に重要なことです。猛禽や昆虫だけでなく、自然を理解するためには、【人間の歴史(生産行為)を知らなければいけない】という、僕の信念の一つなのです
本日の写真は、子供が飼っているオオクワガタの写真です。昨年、知り合いから幼虫をもらい、いまでは、立派な成虫になり、子供達が飼っているものです
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| ★2002.7.17 |
・・・・・ ミッシング・リンク ・・・・・ |
ミッシング・リンク(失われた環)
数日前の新聞に載っていた、「トゥーマイ」(生命の希望)という愛称である「サヘラントロプス・チャデンシス」の頭骨の発見は、ミッシング・リンクを解決するかに見えたのですが、すぐに、「あれはゴリラの化石にすぎない」という反論がでたりして、なかなか面白い展開になってきました
このトゥーマイは、600〜700万年前の化石といわれ、それ以前に、同じようにある程度の頭骨が発見されていたのは、アウストラロピテクスの約300万年前ということなので、これが本当ならば、人類の歴史は、一挙に300万年も遡ることになるからである。300万年とは軽く言いますが、一挙に倍の時間を遡ることになるという大発見なのですが、さて、今後の論争はどうなるのか、密かに楽しみにしているのです
本日の写真は、今ではほとんど見られなくなった自動車電話の写真です。携帯電話の恐ろしいまでの普及により、姿を消していった「ポケベル」と「自動車電話」なのですが、先日、久しぶりに見ることができました
携帯電話といえば、今年中には、加入台数が8000万台を突破する予定だそうです。8000万というと、日本人の3人に2人が持っているという計算になり、一般電話が6000万台ですから、一般電話が「一家に1台」の時代から比べれば、まさに隔世の感があります
僕が小さい頃は、ちょっと田舎に行くと、電話はすべてグルグル回して交換に繋いだものですが・・・・・・・もうすぐ、「1人1台」の時代になるんでしょうね
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| ★2002.7.16 |
・・・・・ ワールドカップ ・・・・・ |
サッカーワールドカップ月間も終わってしまいました
あれだけ日本中が熱狂したワールドカップが終わってしまい、燃え尽き症候群になってしまうのかと思ったのですが、以外と燃え尽きもせず、新たなる世界(人間)を間近に見た(と言ってもテレビですが・・・)感動の余韻は今も心の中にくすぶっています
それぞれの人が、それぞれの思いで楽しみ、観戦したワールドカップだろうとは思いますが、僕が一番感動したというか、心に残ったのは、なんといってもブラジルのロナウド選手でしたね。MVPはドイツのカーン選手で、ちょっと悲劇のヒーローみたいな感じになり、日本人にはかなり崇拝されそうな感じがしたのですが、まさかMVPがカーン選手とは、ちょっと以外でした。かといって、ロナウドにMVPを獲ってもらいたいわけではないのですが・・・・・
掲示板でも書いたと思うのですが、僕は彼のフォワードとしての技術ではなく、タフな精神力に参ってしまったのです。スポーツ全般に言えると思うのですが、技術ということも大事なのですが、それと同じくらい大事なのは、精神力というか精神的なタフさだと思っているのです
前回のフランスワールドカップと比べると、雲泥の差があるロナウドの闘いぶりでした。いわゆる「決定的なチャンス」の時に、落ち着いて相手ディフェンダーやキーパーの動きを見ながら、確実にゴールを決める冷静さ・・・・・あの世界中が注目しているあの舞台で、それをあたかも当然の如く平然とこなす冷静さ
専門家からすれば、いろいろと物足りないところもあるかもしれませんが、技術や得点王うんぬんではなく、僕は彼のタフな精神力に参ってしまったのです
20数歳という若さで、あのタフさ・・・・・当たり前といえば当たり前なのですが、何の世界でも同じだと思うのですが、世界の頂点に立つ人は、技術や思想だけではなく、精神的なタフさが要求されるものだとつくづく思い知らされたワールドカップでした
この微妙なニュアンスは、なかなか人には伝わらないと思いますが、『勝ちたい!』という思いと、『絶対に勝つぞ!』という思いの違いなのかなと考えています
日本チームで言えば、『絶対に勝つぞ!』という思いで闘っていたのは、中田ヒデ・戸田・市川・楢崎・宮本くらいで、他の選手は『勝ちたい!』というくらいかなと(僕の主観ですが)・・・・・そこが日本と韓国チームとの差ではないのかなと思っています。しょせん同じ人間がやっていることですから・・・・・・・
本日の写真は、1枚目が僕の携帯の待ち受け画面です。別にベッカムファンではないのですが、とりあえずワールドカップ仕様ということで、ベッカムの写真を待ち受け画面に設定してあります。この画像は、○○○○ちゃんからいただいたものです
2枚目の写真は、日本のエース「中田英寿」君の家の玄関の写真です。中田選手は、山梨の甲府市出身で、山梨出身者の中で一番有名な人かもしれません。精神的なタフさを持っている彼は、今後もますます活躍するだろうと思いますし、僕も期待しているのです
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| ★2002.7.15 |
・・・・・ お好み焼き ・・・・・ |
お好み焼きを久しぶりに作ってみました
狭い日本とは言いながら、歴史や文化が違うと、こんなにも違うのかと驚かされるものが、時にあります
今までもさまざまなものに驚かされましたが、今回驚いたのは、なんと『お好み焼き』でした。僕の中でのお好み焼きとは、たっぷりの小麦粉を使ってキャベツのザク切りとイカ・エビなどを混ぜ焼いたものなのですが、どうも本場のお好み焼きは、それとはぜんぜん異質のものであることが判明したのです
僕の作っていたお好み焼きは、小麦粉をたっぷり使っていて、焼き上がったものを切ると、その断面はほとんど小麦粉という状態なのですが、どうも小麦粉の使用量が激しく多いようでした。それと、キャベツも僕の使うキャベツは2cm×5cmくらいですので、これも大きすぎたようで、ホクホク感というか、ふんわりサクサク感と言いますか、まったくそんなものは無く、どちらかというとベチョっとしたものでした
奈良で食べたお好み焼きは、表面はカリッと焼けているのに、中はサクサクという感じで、味というよりも、その食感にちょっと驚きでした。関西の美人連に聞いてみると、どうもお好み焼きの概念が、僕とはだいぶ違うことに気が付きました
「キャベツは千切りにせな、あかん!」
「小麦粉の量は、キャベツ9に対して、小麦粉が1くらいやわ!」
「具は何をのせてもいいので、お好み焼き言うんよ!」
「お好み焼きは、主食ではなく、副食なんよ!」
「チーズや餅を入れても、美味しいんよ!」
・・・・・・・・・・僕が43年間抱いていたお好み焼きの概念を、見事に覆されたのです
確かに、回りのテーブルを見てみると、チーズを入れてお好み焼きを焼いている人がいたり、お好み焼きをおかずに、ご飯を食べいている人がいたり、焼きそばをお好み焼きの中に入れて焼いたりと・・・・・山梨では、信じられない光景が、目の前で展開されていたのです。実際に目の前のdawaさんは、お好み焼きの中に餅を入れて焼いているのを見たときには、本当に、こんなものが食べられるのかと、半信半疑でしたが、少し分けて食べさせてもらうと、以外と美味しいのには、ちょっと驚きでしたね
りえぞおさん・だわさん・千草さんの3人に、教えてもらった本場のお好み焼きを、先週はじめて作ってみました。こんな感じでイイのでしょうか?

まずはキャベツを千切りにしてみました。少し大きめのキャベツだったので、三分の一くらいを千切りにしたのですが、もの凄い量になってしまいました
続いては、具の調理です。小さめのスルメイカを1杯と、むきエビを小さく切って、具としました
小麦粉と卵、千切りのキャベツと、揚げ玉、具を混ぜ合わせたものが、次の写真です

ちょっと、小麦粉が少なかったかもしれません。お店で見たのとは、とろみが少し違いますが、まあ、このまま焼いてしまうことにしました
焼き方は、最初に豚のバラ肉を焼き、その上に具材をのせ、清水の舞台から飛び降りるつもりで、チーズをのせてみました。
僕の食べる部分には、紅生姜をトッピングです。
この上に、さらに具をのせひっくり返して、軽く押さえ焼き上げたのが、下の写真です

こんな感じの焼き上がりです
これは、2枚目の写真ですが、直径が約9寸、厚みが約8分くらいの、お好み焼きが2枚焼き上がり、子供達にも大好評となりました
表面は、カリッと焼けて、中はサクサクのジューシーという感じで、なかなか美味しいお好み焼きになりました
これもひとえに、一生懸命に教えてくれた3人さんのお陰です。ここに厚く御礼申し上げます
ところで、こんな感じでいいのかな?
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| ★2002.7.14 |
・・・・・ 本 物 ・・・・・ |
奈良で有名な食品で、ぱっと頭に浮かぶのは、柿の葉寿司と奈良漬けくらいでしょうか・・・・・・
『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』という句があったり、写真なんかで見る限りは、柿ノ木(実)と法隆寺が一緒に写っている写真をよく見かけたりしていたので、柿の葉寿司は、てっきり法隆寺周辺の奈良盆地の食品と思っていたのですが、なんと吉野村や川上村などの山村の食品だそうで、熊野の山を越えて太平洋から運ばれた、塩漬けのサバを加工したのがその起源ではないのかなという感じです
サバは、寿司ネタのなかでも好きな魚だし、魚の塩焼きの中でも好物なので、この柿の葉寿司とかバッテラなども僕の大好物でして、年に数回はどこからか探し出して食べるほどです
今回は、その柿の葉寿司の本物に出会い、食することができ、ちょっと感激しております。このような地域に残されている伝統的な家庭料理などは、その地域の家庭で食べる方が、特徴も良く現れるし好きなのです
飲食店やお土産的なものが嫌いなわけではないのですが、他県から訪れた人が口にするようなものは、口に合うようにアレンジされていたり、洗練された味になっていたりとしていて、けっしてまずくはないのですが、本物ではないのです
当然のことですが、家庭料理などというものは、いくら伝統的なものであろうと、家庭それぞれで微妙に味が変わることは言うまでもありません。しかし、多少の味が変わったからといっても、そのすべてが本物なのです

本日の写真は、本物の柿の葉寿司です
生まれて初めて口にする家庭で作られた柿の葉寿司です。りえぞおさんのおかあさんに作っていただいた逸品で、酢加減・押し加減とも良く、とても美味しい柿の葉寿司でした
2枚目の写真は、プロが使っている木登り用の「ぶり縄」という道具です。縄の巻き方一つでも、捩れないような巻き方がされ、使う時にも使いやすいように、仕舞う時にも、巻くのにもまったくの無駄がないよう理にかなった巻き方がされていて、まさに本物の道具ということがわかります
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| ★2002.7.10 |
・・・・・ 奈良へ ・・・・・ |
分け入っても分け入っても青い山
有名な山頭火の句ですが、その句を思い起こさせるような奈良の山でした
奈良の地に足を踏み入れるのは、高校の修学旅行以来のことですので、20数年ぶりの奈良行きでした
目的は、大きく言えば『奈良の自然』を観察することにあり、特に植林地と河川の状況に興味がありました。梅雨空に阻まれて、残念ながら、山の植生を完全に把握するにはいたりませんでしたが、低く垂れ下がった雲の間からかいま見る山容を眺めると、想像どおりの杉植林地一色というくらいの杉植林地ばかりで、ふむふむという感じでしたが、しばし林道を進むと、とにかく両側にはスギスギスギスギスギ・・・・・スギだらけで、まあ、普通の少し薄暗い植林地の風景が延々と続いていたのですが、突然にエアポケットの中に入ったように、明るいスギ林に出たりしました
この明るいスギ林というのが、驚くなかれ樹齢200年生とか、300年生とかのスギ植林地なのです。テレビや写真では何回か見たことがあるのですが、その迫力は、現物を見ないことにはまったく伝わらないということが、よくわかりました。とにかくドギモを抜かれるくらい驚かされたのです
樹齢による気の太さもさることながら、延々数百年という年月を掛けて人間が育ててきた森林とは、こういうものになるのか・・・・・というのが一番の驚きでした

このような超高伐期施行の森林が日本に存在するということと、このような森林がスギ植林地=自然破壊という、僕の抱いていた概念を根底から覆してくれました。樹間も広いところでは10m以上もあり、林床光度も十分確保されているため、下層木や下草も適度に繁茂し、生物相豊かな林になっているのです
おまけに、そこから供給される木材は、人間が使うのに最高の建築材を提供しているという、まさに一石二鳥の森林管理方法が今も実践されていたのです
このような森林が残されているお陰で、ここにはクマタカやイヌワシが残されてきました。クマタカは、そのような森林を営巣地や狩り場に、イヌワシは狩り場に利用することにより、恐らくその地に生息できるからなのです
もう一方の河川の状況なのですが
まず水量については、想像以上に少なかったという印象を覚えました。スギの名産地として古くから知られているところなので、昔は河川を利用して材木を運んでいただろうし、降雨量日本一の大台ヶ原を抱えているので、かなりの水量があるのかなと漠然と思っていたのですが、予想に反して少なかった印象を受けました。まあ、上流部ですので、そんなものかもしれませんが・・・・・
それと、そのたくさんの降雨量を背景としたスギ生産なので、沢筋などもかなり荒廃しているのだろうと想像をしていましたが、以外にも崖崩れなども少なく、落ち着いた山なのにはビックリしました
いずれにせよ、まだまだ見たりない(確認しなければならない)事がたくさんありましたので、納得いくまで、これからも数回見に行くつもりです
奈良の山は、猛禽を研究している方・自然保護に興味のある方・林業関係者などには必見の地のような感じがします。それくらいすごい場所でした

本日の1枚目の写真は、200年以上は経過していると思われるスギ植林地です。比較するものがないので、その大きさはわからないと思いますが、ほとんどの木は直径1m以上という大木なのです
2枚目の写真は、切り倒され、樹皮を剥かれて放置されているスギの木です。本当は、放置されているわけではなく、2〜3年ほど山の中で水分を乾燥させた後、里に降ろされ、再び本格的に乾燥を行ってから製材を行うのです
この木で直径が1m前後(樹齢200年前後か)でして、近くには10本ほどが切られていました。下層植生が発達しているのが写真からでも見て取れます。このように山中で乾燥をさせてから、ヘリコプターを使い搬出するようです
3枚目の写真は、吉野川の滔々とした流れです。このあたりは、想像以上に水量は少なく、小さな淵と浅い瀬の連続でした。夏になるとビキニ姿の女の娘が、この淵で泳いでいるらしいです
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| ★2002.7.7 |
・・・・・ 移入種と交雑・8 ・・・・・ |
生態の上位種の移入については反対なのですが、次には移入における交雑について考えてみたいと思います
移入動物による自然交雑については、それほど記録もなくあまり知られているところではありません。有名なものは、タイワンザルとニホンガルの雑種くらいでしょうか
近縁植物だったらかなりあるような感じもするのですが、交雑の危険は叫ばれながらも、これといって耳にしたことはありません
鳥類でもカモは交雑種が良く見られることで有名なのですが、『移入種』という観点とは少し違うし、やはり動物ではサルくらいでしょうか・・・・・
サルだけでは、あまりに例数が少ないので、交雑種すべてについて、考えてみることにします
交雑と聞いて頭に浮かぶパターンは3つです
1.人間の手による人工交雑
2.国内同族種での自然交雑
3.移入種と国内同族種での自然交雑
です
1番目の人間の手による人工交雑については、枚挙にいとまがないくらいあります。野菜・果物・花・家畜・犬、猫などのペット類・・・・・今ではクローン人間までも話題にでているくらいで、人工交雑の歴史も長く、他分野に渡り、本当に数限りなくあります
2番目の国内同族種による自然交配ですが、昆虫類やカモなどの鳥類で、いくつか報告がされています
3番目の移入種と国内同族種による自然交配はサルくらいでしょうか
ここで、巷間問題視されているのは、2と3の自然交配問題です。3のサルの問題については、ニホンザルとタイワンザルの雑種を駆除することで決まったようです
2については、人工交雑種は基本的に種として固定しないはずですので、問題はないと思うのですが、なかには、「交雑する」という行為自体を問題視する人がたくさんいるのが問題といえば問題かもしれません
交雑種が種として簡単に固定するのであれば、大袈裟に言えば日本中交雑種だらけになってしまうであろうし、固定する場合もまったく無いわけではなく、それにはとてつもなく長い年月がかかるであろうことが想像されますので、それほど問題視することではないような気がします
自然界では、自然交配している植物があることは有名で、時には希少雑種などと呼ばれ地方の県版レッドデータブックに記載されたりしていますが、これなどは、自然雑種は希少であり、貴重であるということなので、「雑種」に関する考え方がこんなに違うのかと驚くことしきりです。確かに自然雑種と移入交雑は違うといえば違うのですが・・・・・
この雑種問題にしても
雑種が種として固定されたり、ある種に違う種の遺伝子が存在してしまうということについても、種中の遺伝子の多様性を図るという観点から考えると、OKなのかなという感じがするのですが、いかがなものでしょうか?
よくよく考えてみると、それらを良い悪いと言っている人類だって、基本的には民族同士の交雑を繰り返したりしているわけで、それにより人類の種としての多様性がどんどん増えるわけですから、一概に『交雑=悪』とは断定でききれないと言うのが、僕の雑種に関する考え方です
ですから
個体数が少ない動物などは、あまりに純血にこだわってばかりいると、トキの二の舞を踏むことになるような感じがしますので、種によっては、近縁の新しい遺伝子を導入することに異を唱える必要も無いのでは・・・と
ところが、自然保護に関する一般的な世論は、遺伝子が交雑することに対して過剰な反応を示しています。その論旨は、あくまでも「地域により隔絶された遺伝子を守り残す」ということにあります
反面、ホタルやメダカの放流などに代表されるように、ありとあらゆるものを「地域により隔絶された遺伝子を守り残す」という法則を無視して行っていますし、そのことに対して反意を唱える人もほとんどいません
結局のところ、何が正しいのか?・・・・まったく議論不足ではないのかなということが、いまの現状ではないのでしょうか

以前に、鳥類の輸入業者さんと話をする機会があり、いろいろと話を聞かせていただいたのですが、驚いたのはメジロとヒガラの話でした。メジロは韓国から「チョウセンコメジロ(正式名ではないと思います)」というのを年間数千から数万の単位で輸入しているそうです。ヒガラは台湾から「タイワンヒガラ(これも正式名ではないと思います)」をやはり数千単位で輸入しているそうで、それだけでは、取り立てて問題になることはないのですが、輸入されたもののうちのいくらかは、そのまま野に放たれてしまうのだそうです。その業者さんの話では、日本全国で数千の単位でチョウセンメジロは日本の野に放たれているのではないかと語っていました。話半分としても、かなりの量になるであろうことは想像ができます。チョウセンメジロもタイワンヒガラも亜種程度の違いですから、日本産のものと交雑しますので、もしそれらが事実だとすると、かなりの交雑種が存在するであろうことは想像に難くありません
この話が事実だとすると、大部分の人は良くないことだと思われることでしょうが、僕は、種の中の多様性が増えて良いのではと考えているのですが、いかがなものでしょうか?
本日の写真は、耕作放棄されたスモモの木です。耕作放棄をされている果樹園(ブドウ・モモ・リンゴ・スモモ)はたくさんあるのですが、ほおっておいてもキチンと実をつけるのはこのスモモだけなのです。なかには2枚目の写真のように商品にしても良いくらいの大きな実を付けるものもあり、スモモの強靱さにはビックリさせられます。あとはプルーンなんかも手を入れなくても大丈夫な果樹です
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| ★2002.7.5 |
・・・・・ 移入種と交雑・7 ・・・・・ |
今日は移入動物問題について考えてみます
現在の日本でどのようなことが問題視されているのか・・・・・少し事例を探してみると
・北海道のアライグマ
・三宅島のイタチ
・奄美大島のマングース
・ブラックバス
・コクチバス
ある程度大きな問題は、こんなところでしょうか
細かいことを言い出すときりがないので、この重要な5つの問題について少し検討してみることにします
まずは、北海道のアライグマ問題なのですが、世間で騒がれているのは農作物への被害の問題ですが、生態系のことを考えると、大きな事は鳥類の卵やヒナの採食、営巣場所である樹洞を利用することにより、樹洞利用の鳥類や動物に影響を及ぼしていることが考えられます
次に、三宅島のイタチについてですが、最近の情報がほとんど入手できないため、どうなっているのかよくわかりませんが、鳥類をかなり捕食しているだろうということは、ずいぶん前から野鳥研究家により指摘をされていました。野鳥よりも両性類・は虫類・昆虫類の方を、僕は心配しているのですが、特産種が少ないことが幸いか・・・・・
奄美大島のマングースについては、さまざまな報告がなされています。マングースは、結局ハブを捕ることなく、他の動物達を食べていたようで、アマミノクロウサギなどの危機が報じられています。数十匹放したものが、今では一万頭近く生息していると推定されているようです。当然、たくさんの個体が捕食されていることと思いますが、アマミノクロウサギは今のところ絶滅していません
ブラックバスについては、日本各地から、その甚大なる被害が報告されています。そのほとんどは想像どおり、止水域である湖沼からのものです。その湖沼に生息している魚を食い尽くしてしまうというものが、報告の大半ですが、確実にブラックバスの捕食による影響で特定の種が絶滅したという報告は無いように思われます
コクチバスについては、数年前からいくつかの県で生息が報告されだしました。山梨にも生息していることがわかっています。この魚はブラックバスが生息できないような冷水域でも生息できるため、今までブラックバスが住み着けないところが生息域の中心となりますので、今後の動向に気を付けなければいけないと考えられています
以上 いくつかの事例を、簡単に整理しただけですが、いくつかの共通点を見ることができます
1 移入されたことによって絶滅してしまった種はいない
2 閉鎖的な生態系においては、肉食の高次捕食者を移入すると生態系を大きく変えてしまう
3 移入された動物のすべてが、人間の都合により移入されたものである
などなどです
ここで僕が重視していることは、3なのです。『生態系の評価』という観点だけで見ると、むやみに高次捕食者を、違う生態系のなかに移入することは、影響を与える度合いは非常に高いので、良くないことであると考えられます
その反面、現在の生態系にあらたな侵入者が入ってくることにより、被捕食者は、優れたものだけがより子孫を残すことができて、種の中での多様性が生まれてくるのではないのかと・・・・・
つまり、移入種が導入されることにより、生態系に変化は起きるものの、種の中の多様性は増えるのではないか、ということが、僕の考えの骨子になるのです
だからといって、何でもかんでもOKというわけではありません。できれば、これを実践し検証してみることが必要なことは言うまでもありません。それとともに、種の多様性が仮に増えるとしても、移入という行為自体にすべて賛成しているわけでもありません。生態系の評価と種の移入行為は、別物だと思っていますから・・・・・
これが、動物の移入(帰化)問題というのは、生態的な評価はすべてが悪とは思えずに、仕方がないという感じで容認している一つの理由です。容認とは言っても結果論的な容認なのですが・・・・・
だからといって、生態系の上位種を閉鎖された生態系に移入することについては、あくまでも反対なのです
本日の写真は、一生懸命巣作りをするイワツバメの写真です。撮影したのは、5月の末頃でしたので、そろそろ元気に巣立つ頃でしょうか。足なんかを見ても、さほど強うそうな足には見えないのですが、コンクリートの壁に上手に止まるものです
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| ★2002.7.2 |
・・・・・ 移入種と交雑・6 ・・・・・ |
そろそろ、まとめにはいるのですが・・・・・
その前に、もう少し日本の現状を見てみることにします
最初は、移入植物が、日本でどのような扱いを受けているのか、少し探してみてみると、いろいろとでてきます。はっきりと嫌われていたり、時には親しまれたり・・・・・と
とりあえず、植物の面から見てみると
都道府県のシンボルである「県の花」や「県の木」などを見てみても、ものすごいことになっているのがわかります。例えば「県の花」でいうと、ウメ・ボタン・ヤマモモ・ハマユウ・バラ・スイセン・ソメイヨシノなどなど、移入種や雑種などを指定しているところが、実に21の都県にあることがわかりました。ほとんど半分近くの都道府県が、移入種や雑種(交配種)をシンボルにしていました
「県の木」になると、だいぶ割合は低くなりますが、ウメ・ヤマモモ・ヒノキアスナロ・オリーブなどが11の都府県でシンボルとされていました
移入種であろうが、雑種であろうが、人間にさまざまな利用価値のあるものは既に認知され、普通に受け入れられていることがこれだけでもわかります
ところが、利用価値のないものは、いわゆる『雑草』として扱われ、ひどいときには駆除されたりしているのですから、なんといいかげんなものでしょうか
これは、利用価値のある植物と雑草とを、心情的に区別すべきではない・・・・・というわけではなく、従来言われてきた『日本古来の生態系が大事だ』という理念とは、まったく食い違うことであり、その理念に矛盾を感じるからなのです
『日本古来の生態系を守ることが大事』ということになれば、すべからく移入帰化植物は駆除されなければならないのですが、物理的に不可能な事で、ナンセンスなことは言うまでもありません(さすがにこのようなことを唱える人は少ないですけど・・・・・)
少なくとも、移入種が侵略しようが、しまいが、生態系が『多少変化する』だけで、『生態系』というものは、変化しながら移り変わっていくものだと信じている僕からすれば、移入帰化植物の問題などというのは、無きに等しいものと考えています
さりとて、積極的に移入をして良いかというと別物ですが・・・・・
『動植物の移入』というものは、人類が『交易』をやめない限り永遠に続くもので、そのなかで、いくら厳重な規制をしようが、植物の種子など簡単に移入されてしまいます。それに、移入種自体が、生態系にダメージを与えているのではなく、生態系を変化させているとしか考えていない僕にとっては、【移入種=悪】という様に考えられないので、移入植物はただの自然現象の一部でしかないと考えているからです
本日の写真は、雨に濡れる蜘蛛の巣です。梅雨の真っ最中であり、天気がぐずついている毎日です。こんなに水滴がついて目立ってしまうと、虫もひっかからないんでしょうね
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